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ふるさと(熊本)の歌を創り続けています。


by binggou

汝は幸いである。

富める者は幸いである。汝は毎日安心して、豪華で豊かな食生活を送り、経済的には何の不安も心配もなく過ごすことができるであろう。

健康な者は幸いである。汝は自由に飛んだり跳ねたりすることのできる身体を持ち毎日を健やかに楽しく過ごすことができるであろう。

病気の者は幸いである。やっと自らの人生が何であるか考えるチャンスを頂いたのだから。

貧しい者は幸いである。汝は「奪わず」「我慾に溺れず」ひたすら与えられた務めをコツコツ果たしてきたのだから、天国の門は常に汝らのために開かれているであろう。
(うらた剛による勝手なうだごつ集より)
# by binggou | 2009-08-25 22:49

私って何だろう。

 思い起こしてみますと、今から二十年以上前、ボーッとしているとき、ふと、こんなことを考えました。「私って何だろう」
 私の手、私の指、私の爪、私の顔、私の眉、私の目、私の耳。私の腕、私の拳、私の足・・・。限がありませんが、それらを考えてみても、考えてみても、全部私の一部をなすモノであって、私そのモノではない。

それをずーっと何処までも追求していったら、最終的に、「私」と言う意識を持っている私の頭の中にある脳細胞の一部が、私を「私」と認識しているのだということに到達致しました。

それからその「私」それこそが「魂」であることに気が付くまで大した時間はかかりませんでした。
# by binggou | 2009-08-24 21:56
●20年間無敗の雀士桜井章一さんの言葉
 今から約10年前の話です。わくわくフォーラムの渡辺さんが、麻雀で20年間無敗の雀士桜井章一さんを熊本にお呼びしたことがありました。奥阿蘇の満願寺温泉に東京からご夫妻を招待し、渡辺さんの身近な方々約20名をその宿に集合してもらい、飲みながら語り合う形式で、桜井章一さんの話をお聞きすると言った会がありました。
  私は残念ながら重要なお客様をその夜熊本で接待するという大切な仕事がありましたから、出席せず、後にカセットテープでその夜の模様を聞きました。

 Aさんが、最初に質問致しました。
 私は会社で役員をしております。九州地区の責任者と言ったところです。会社の将来や売上向上に結び付けばと思い、いろいろ試行錯誤し、苦労してあるシステム作り上げたり、また、特許申請も可能な画期的な製品等を苦労に苦労を重ねた結果、製品化したとしても、社員達は「あぁ、そうですか」と言った風に何の喜びの表現もなく、無反応で、何のため自分は頑張って来たのかなぁーと、むなしく感じる時がありますが。そんな時、どう自分の心を処理したらよいのでしょうか。

 桜井章一さんの言葉「Aさん、あなたは一生懸命頑張っている自分の姿が見えるのだけれども、あなたの社員には見えていないと言う事を言っておられるのですね。」「あのねAさん、本当に一生懸命頑張っていたら、自分には一生懸命頑張っている自分の姿は見えないんだよ。見えているとしたら、Aさん、まだ頑張っていないんだよ」
# by binggou | 2009-08-23 14:25

豊かな人生とは、

豊かな人生とは、巨万の富を得ることではなく。広大な領土を占領することでもなく。巨大な権力を獲得し支配することでもない。

自らの生命の存在する価値に気付き、何ゆえ、自らの生命が存在するのであるか、その目的に気付き、その目的に向かって日々精進努力することこそ豊かな人生と言える。

日々我々が「幸せ」と思っている出来事は、言わば「束の間の満足」であって、到底「幸せ」と言えるものではない。

「真の幸せ」とは、豊かな人生が何であるかに気付いた人々に訪れる言葉にてたとえようのない「満ち溢れる恍惚の感情」である。

言葉にて例えようのない「満ち溢れる恍惚の感情」には、「感謝」と言う「魔法の粉」が絶え間なく降り注ぐ。

(平成21年8月22日 うらた剛)
# by binggou | 2009-08-22 10:24
上益城郡山都町(旧清和村)に朝日小学校と言う閉鎖された学校があり、そこの講堂でのコンサート開催である。

何事かあると声が掛かってくるそよかぜ作業所の濱田さんが宜しければ同行して欲しいとの急なお願いにより、私も行くことにした。

そよかぜ作業所に行ってみると、私のほか数名(全部で8名)にて行くとのこと、車2台で行くこととなった。

行ってみると遠い、山の中を抜けて、一番高い台地に目指す小学校はあった。後で分かったのだが、清和天文台のすぐ近くらしい。

少々遅れて到着すると、もう始まっていて、お客様は4名(女性のみ)がおられ、それに我々8名も加わった。

濱田さんは大庭さんの歌を何曲も作詞されていて、それが中心に歌われ、1曲1曲その曲の詩がどのように創られていったか、説明をおりまぜ、コンサートは進んでいった。

それにしてもこんな遠くの廃校になった小学校で、コンサートは何故開かれたのだろうか。
# by binggou | 2009-08-17 10:16